可愛がられる人に嫉妬します。
「私も同じように頑張っているはずなのになんで?」
でも、嫉妬するのと同時に、「あの人はきっと私の知らない所でもっと頑張っているのかも知れない。だから、もうちょっと頑張らなきゃ」とも思いました。
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「要領が悪いからだめなのかな」
周りをよく見なさいと言われたので見ようとしました。でも、ちゃんと網羅できなくて、やろうとしても失敗するし誰も見てないし結果的にはやっていない時と同じなので、せめて邪魔にならない所にいようと思いました。
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「他の人と面白いと思うところが違う?」
私が喋ると「?」な人が多いし頭の回転も遅いし、自分は好きだけどみんなが興味ないことなんてうまく話せないので、せめてみんなが楽しんでいる雰囲気を壊さないように黙ってニコニコしていようと思いました。
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「くず調子に乗っちゃう」
調子に乗るとうざいキャラになって周りの人が嫌な気持ちになるので、そっと大人しくしていようと思いました。だから、そのために悪い所をちゃんと見つけて反省することが必要だと思いました。喜ぶ前に、誰かに嫌な思いをさせていないか、喜んでいいかを精査すればいいんだと思いました。
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「私にできることは人並みかそれ以下だなー」
だから特別になりたかったです。自分の悪い所を帳消しにしてくれる特別が欲しかったのです。でも、私には何もありませんでした。誰の特別にもなれませんでした。
頑張れば「0」にはなるけど、何もしなければずっと「マイナス」なんです。
だから、私は可愛がられる人に嫉妬します。決まった人しか可愛がらない人や、自分にとって都合のいい可愛がり方をする人も大嫌いです。
私と同じ、こんなに悲しい思いをしてほしくない。だから、仕事で失敗続きで怒られてばかりだったり、先輩からひんしゅくを買ってしまったりするような後輩達が、自分で選んだ職場を好きになれるように、そして職場のメンバーが気持ちよく仕事をできるように、私は緩衝材になりました。
でも、虚無の心で他人を助けた所で自分は救われません。
「じゃあ、私はどこまで頑張ればいいんだろう」
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書いててまたボロボロ泣いちゃってるんだけど、うーん、なんだかな。今思えばそんなに大したことじゃないのになー。
でもなー、そっか。
子供時代の私、ずっと、辛かったんだな。今もまだ、辛いんだな。これが、私を守ってきたルールの1つだったのか。
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なんとなくだけど、最近は特に、私という個体の本体を大事に扱ってもらってるなーという感覚を覚えることがあります。
その感覚が最初は何か分からなくて「なんかいつもと違うな」程度の理解だったんです。安心感とも違うし、(というか、安心感は私にとって麻薬的な要素がある)、でも不安も頑張りハイテンションモードにもならない。
言葉ではうまく表せないな。不思議な心の凪タイムだ。
思えば、自分自身の資質を決して受け入れようとしない子供の私と、それを説得する大人の私が、おととしくらいの離婚問題勃発からずっと喧嘩してたんだなと感じています。感覚的にですが。
でも、その子の痛みをじっくり感じた時に、「こんなに痛かったんだなー、健気だなー、なんておばかな子なんだろう」と思ったら切なくなって、大人の私もちょっと泣きました。
喧嘩せずに、一緒に「痛かったね」って泣いてあげれば良かったんだな。気付かなくて悪かったな。
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「お弟子の課題で100個も自分の良い所見つけなきゃいけないんだって。一緒にできそう?」と手を差し出してみる。
小さな私は、まだ不機嫌で拗ねてる。でも、そっと手を握り返してくれた。
「また泣いてもいいよ。怒っても悔しがってもいいよ。だから、ちょっとだけ一緒に頑張ろう」
ぎこちないけど頷いてくれた。
よかった。
大人の私が周りの人からもらったものを、あの時の私に与えてあげよう。そうやって、心を癒しながら、ちょっとずつ仲直りしよう。
良いところ、一緒にたくさん見つけようね。
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