「誰かにすがりたい」、「甘えたい」などの欲求は嫌わなくていい

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きのうは、ちょっと沈みモードでありました。

誰が悪いとかでも、責められたとかでもなく、単に、「例え結果が変わらなかったとしても、私ができたであろうことを1つやらなかった」ということなんです。

それで、「あの時ああしてればなぁ」とか、「なんでやらなかったんだろう」とか後悔に伴う辛い気持ちを成仏させようと思って1つ思い立った案が、「そうだ、彼に聞いてもらおう」でした。

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「誰かにすがりたい」、「甘えたい」という状態のことを、心理学では「依存」と言い、なおかつ依存は良くないものだと思っていました。

元夫との離婚問題も、私の依存が強く出ていたことが原因の1つとして挙げられるので、依存に対する怖さみたいなのは未だ強いと自覚しています。

「彼に聞いてもらおうかな」と思った時も、「また依存して同じパターンになっちゃうかしら」という怖い気持ちがわいてきましたが、よく考えたら「聞いてもらうのは別に大丈夫じゃん?」と思いました。

「依存でトラブルが起こるならまずは自立しましょう」と言われていますが、言葉の解釈が私はちょっとストレート過ぎたんですよね。人に何かをして欲しいという欲求自体が依存だから捨てなければと感覚的に思っていたようです。この辺をいったん言語化したおきたいと思います。

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依存と自立を見るなら、「欲求よりも行動にフォーカスを当てる」ということが大事だと思いました。

「彼に聞いてもらいたい」、「甘えたい」という欲求が出てきた時、依存と自立(甘え上手)の違いはどこだろう。

  1. 相手の状態を省みずに自分の気が済むまで話を聞いてもらうのは依存
  2. 「今日はちょっと聞ける余裕がない」と言われた時に「分かった!余裕のある時にまた相手してね、ありがとう」と言えるのは甘え上手
  3. 「こんなに疲れてるのになんでちゃんと聞いてくれないの?!」と怒るのは依存
  4. 「今日は、辛いので話を聞いてもらいたい」と素直にお願いできるのは甘え上手
  5. 明日から頑張るために誰かに頼るのは甘え上手

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自立しようと思うと、それはそれで結構不安なんですよね。上記について言えば、「甘え上手」と書いた項目って、心が伴わないときれい事になるし、自分の感情を殺す時もあるかも知れないし、見捨てられる不安が強く出るかもしれない。

とは言え、依存って、私の身体感覚的には隠せば隠すほどだんだん膨らんでいく気がしています。だから、そういう時こそ「愛されている」という証拠を見つけて地に足を着けるのがいいのかなと思いました。

そもそも、自分が頼りたいと思った相手って、ある程度関係性ができていたり信頼していたりするし、自分自身が好きな人なんですよね。だから、勇気はいるかもしれませんが、新しい関係性が築けた時に「やっぱり頑張ってよかったな」と思えると思います。

例えうまくいかなくて悲しい思いをしても、後悔しても大丈夫なんです。頑張る姿を見ていてくれる人は絶対にいるもんです。本当に見捨てられることってそうそうありません。

色々とまとまらない感じですが、要するに、欲求を形にする時は「私」→「相手」→「私たちならどうする」という交渉の余地を残すことが良いという基本的なプロセス所に戻ってきました。よかったよかった。

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という訳で、早速彼でトライしてきましたので一緒にご報告いたします。

私「なあ、今日はしんどかったので、話を聞いていただきたい。よろしいか」

彼「よろしいよ」

私「ありがとう。かくかくしかじかでな、悲しい」

そして彼は傾聴してくださった。

私は礼を述べた。めでたし。

書くとシンプルなんだけど、これだけのことがめちゃくちゃ怖いんですyo。

でも、やっぱり彼に頼って良かったなと思ったことがあって、彼、頼られるのが好きだからすごく嬉しそうだったのです。そして、彼も仕事の悩みや展望を話してくれて楽しくて、気付いたら私、元気になっていました。

本音の素直な気持ちを人に言うのって怖いけど、練習したらちゃんと双方のいい感じの落とし所を掴めるようになると感じています。だから、どうしようもなく前に出てくるものでも嫌わなくていいと思うのです。だって、それだって私の大事な要素だから。

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