嫉妬も寂しさも自己嫌悪も、自分の「ここに在りたい」というたった一つの願いだった

心理学関連の雑談

最近、不用意に自分を掘り下げていたら「えーーーん!(寂)」とか「い゛ーーーー!(嫉妬)」とか「あ゛ーーーー!(自己嫌悪)」 みたいに今まで隠していたものが出てくる出てくるでビビっています。

せっかく心の凪がきたと思ったのにまたこれだよ!しかしすげー醗酵してるんだけど何年ものだろう。ヒーヒー。

そう。

この不安からくる欲求ども。

なかなか厄介な存在である。こう、自己充足!自分軸を確立!と言っても何故だかうまくいかないパターンにハマるんです。

私に問う。

お前は、なぜ自分の価値を認めずにありとあらゆるものを外から求めるのだ。

この悲しきパターンを抜けるのに、サトヒ先輩のブログでオススメされていたこちらの本で改めて発見がありましたのでここにご報告いたします。上記の欲求、もといエゴとのお付き合いの方法がスピ方面から書いてありますねん。※まだ1/3しか読んでないけど許せ

恋愛においても仕事においても身近な人間関係においてもね、どうしたってエゴって出てきてしまうんですよね。「彼から連絡が来ない…嫌われた…?(寂)」とか「この仕事をうまくやらないと…(超焦燥)」とか、「あんなことできて羨まし(妬)」とか。そして自己嫌悪までがハッピーセット。いらねーよ。

本日もタイムリーに欲求に苛まれていて、「ある」に目を向けた方がいいって分かっているからこそ壁をぶん殴りたくなる衝動に駆られ今。しんどい。とても。

そもそもエゴはいけないものか

「エゴがあること自体は別にいい。そんな状態なんだと知るだけでいい」と言われますけど、本にも似たようなことが書いてありました。エゴを感じるのは善でも悪でもない、エゴというだけ。観察した時点でエゴの克服が始まるから深刻に受け取らずに微笑むのがいいそうだ。大人の余裕だ。

生きていればエゴが全くなくなるなんてあり得ない。だから、あってもいいって思いたい。でも、恥ずかしいんです。こんな思いを抱いているのが。それが私!と思ってればいいんですけど、いまいち抜けられないんですよね。

そもそもなぜこんな思いを抱くのだろう

ニューアースの中にこんな言葉があった。

エゴの底流にあってすべての行動を律しているのは不安である。自分が何者でもないという不安、存在しなくなるという不安、死の不安だ。

第3章「エゴを乗り越えるために理解すべきこと」

自分が存在できるのならば、たとえ自分を苦しめる要素があろうと、どんなアイデンティティーでも求めてしまう。「かわいそうな私」でも「悪さをする私」でも「足りない私」だとしても。そうまでして在りたい。生まれてきた意味を見つけようとする。理由はなんであれ、そうせざるを得なかった。

「私はちゃんと存在していると、どうでもいい人間ではないと言ってくれ」と叫んでいるようだ。

第4章「エゴはさまざまな顔でいつの間にか私たちのそばにいる」

自分の存在がなくなるのは怖い。でも、様々なことを手放した時に、本当に私は無くなってしまうのだろうか。

「私は私」というアファメーション

自分を取り巻く状況、持っているモノ、セルフイメージ、他人がどう見るか、宗教、所属など、様々な結びつきを通して自分のアイデンティティーを強化しようとする。それらを切り離した時に、私には何が残るか。

私はどんな存在か。

それは理解しなくていい。

私は私だから。

何かに定義する必要はない。

私は私だから。

ただ私が在る。

それだけでいい。

私は私だから。

大丈夫。

私は私だから。

ただ在るだけでいい

嫉妬も寂しさも自己嫌悪も、自分自身の「ここに在りたい」というたった一つの願いだったんだと感じました。ほんと、私の課題は心の奥にある無価値感の克服に尽きる。

きっと、また心の癖で無価値な自分に病むこともあるだろう。だから、何度でも唱えます。

ただ私が在る。

それだけでいい。

私は私だから。

大丈夫。

私は私だから。

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