「泣いたってしょうがないでしょう」
いつからだったか、泣き虫の私が泣く度に母はそう言った。どんな出来事で泣いたかはうろ覚えだけど、小さい頃から私は「悔しい」と思って泣くことが多かった気がする。
中学生になって、私はだんだんと泣かなくても大丈夫になった。その時、「あー本当によかったなぁ」と思ったことが印象に残っている。
受験や成人式など、人生の節目で母にわがままな要求をしてぶつかり喧嘩した。その時の私の要求は飲まれなかったため、妥協せざるを得なくて悔しくてまた泣いた。
涙に伴う思い出は、おそらくポジティブなものもあったんだろうけど、自分にとって気分の良くない思い出の方が鮮明に出てくる。
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親に頼りたくなくて早く家を出たいと思った私は、大学生の時に一人暮らしを始めた。最初は寂しかったけど、ものの一週間で寂しさはなくなり快適に過ごせるようになった。実家に帰るのは最低限だった。一人なら祖母と母の喧嘩を聞かなくてもいいし、父の小言も聞かなくていい。あれやこれや言われて煩わしいこともない。
そのうち結婚することになったのだが、結婚式で定番の花嫁の手紙がネックになった。その頃は、そこそこ家族には感謝していたし手紙自体書けなくもなかったんだけど、泣かせる演出としてやるのが胡散臭くて嫌だったので、プレゼントと一緒に個別に渡した。
結婚生活は余裕がなく、元夫にかなりわがままをぶつけるようになっていった。いよいよ離婚が持ち上がった時、私は、半年間その事実を身の回りの人に言えなかった。結婚式で泣きながらお祝いしてくれた大事な友人、ベールダウンをしてくれた母、バージンロードをエスコートしてくれた父、喜んでくれた祖母やきょうだいたち、みんなを裏切るようで苦しかったし、離婚なんて自分の人生とは無関係だと信じていたから「こんなはずじゃない」と思っていた。
幸運だったのは、半年の中の序盤で、根本師匠やその時お世話になったカウンセラーや心理学に長けた職場の上司と出会えたことだった。自分と向き合うにつれ、徐々に自分の形が変わっていく感覚があった。
そして、離婚が持ち上がってから半年と少したった頃、折を見て私は母に事態を告げた。言わないわけにはいかないし、遅かれ早かれ伝えれば何かしら文句なりなんなり言われるだろう。予想通り、母は私を責めはしないものの、何が起きているかを理解できていないようで私に要らぬアドバイスをしてきた。イライラした。
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離婚問題ですったもんだしている間、実家のメンバーに変化が出てきた。何度か母と話すうちに、「ゆうこちゃんが苦しいなら離婚してもいいんだよ」と言ってきた。父も祖母もそうだった。助けを求めたら下のきょうだい達が快く引き受けてくれた。
私にとってはそれら全てが予想外だったが、とてもありがたかった。相変わらずイライラすることもあったけど、少しだけ家族に頼ってみようと思うようになった。
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この頃から私は、母の弱い面が際立って目に入るようになった。
離婚したことについて、母は「私が悪かったのかな」と弱々しく言った。私は、「大人なんだから、お母さんには関係ない」と答えた。弱気な母にまたイライラした。母を否定することは、私の生まれ育ち全てを否定することになる。なぜそれが分からないのか。母のせいにするわけにはいかなかった。
妹と2人で話していた時は、「そう言えばさ、母が『誕生日とかもっとお祝いしてあげればよかった』とか言ってたんだよねー」というエピソードが出てきた。我が家の誕生日祝いはとてもシンプルでささやかだった。私は、お祝いするのもされるのも大の苦手だったけど、母が喜ぶならお祝いしようかなと思った。
母が泣きながら怒りに任せて転職したいと言った時、環境よりも母に非がある理由に思えて私は厳しい態度を取った。とにかくしっかしりて欲しいと思った。でも、母には母らしくいて欲しかったから転職は応援した。
一連の中で、私は、だんだんと自分は母が大好きだということに気が付いた。「あー、大好きなんだなぁ」と気持ちに浸って、イメージの中で「お母さん大好き」と言って母にそっと抱き締めてもらうと涙が出た。でも、涙に対する抵抗感はまだあった。
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私は素直じゃない。前よりはマシだけど、好きな人に好きと言えない。相手から話しかけられるのを待つし、誕生日やイベントもどうでもいいふりをする。挑戦も闘いも、成果が出ると分かることしかやらない。
いずれも、嫌な思いをしたくないからだ。悔しいのはもうごめんだ。
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涙は、安心した時にも出ると言う。私が最近よく流す涙は安心感から来るものなのかもしれない。でも、抵抗がある。身を委ねたら崩れてしまう。自分ではどうにもできなくなってしまう。私は、自分が崩れてしまうことを知っている。それほどに、私は弱い。
またイメージする。母に抱かれて「お母さん大好き」と伝える。涙が出る。でも無理だ。
そんな風に我慢している自分に「もういいんじゃない?」と言ってみた。今度はもっと涙が出た。朝の通勤電車の中で、しばらく一人で泣いていた。
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母と私は良く似ている。それくらい私は母が好きなんだと思う。年明け、実家に帰る予定だったから、思いきって、結婚式で言えなかった想いを伝えてみることにした。
私は、人が好きだけど嫌い。好きが出ると欲が出る。欲が出るのは苦しい。だから、気持ちが読めない不確実だけど好きな人は嫌い。
それが分かってるから、あとは勇気を出すだけだ。みんなに甘えさせてもらいながら、ちょっとずつ進んでいこう。
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