【お弟子講座12月】天国へは一人で行けない1

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そういえば、本当の私はもっと泣き虫だった気がする。私が泣かなくなったのはいつからだろう。

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今月の講座、師匠のデモセッションのロールプレイで、「一人で戦ってきた人が背負ってきたものをおろして仲間と共に成功に導かれる」という場面が出てきた。自分がクライアントでないのに私は我慢しても涙が止まらなかった。

帰り、とんでもねぇセッションに遭遇したなぁと思いながら、自分の内面の「何」に触られて涙が出てきたんだろうかと理由を考えていた。でも、私はクライアントさんと似た境遇でもないし、おそらく、クライアントさんの立場を想像して「それは辛かっただろうな」と共感して出てきた涙だったのかなぁと思ってその日はあまり気に留めずに眠りについた。

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翌日。1期生の先輩であるヤタさんの講座の中で、前日の師匠のセッションで感じたことをテーマにペアワークをする場面があった。師匠のセッションを振り返りながら、私はなぜかまた我慢できなくて涙が出てきた。

参ったな。これはおかしいなぁ。

結論としては、私も「一人で頑張ることがあったのでは」という見解に。納得ができなかった。自分にとっては一人で頑張るというのはすでに過去の話で、今は友達も家族も頼って生きていると自分では思っていた。あの時の私がまだ消化できていないのだろうか。でも、何かひっかかる。

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ここ最近、どこに行っても「歳のわりにしっかりしている」とよく言っていただく。それなりに仕事でミスをするし、同世代の私の友人も大差ないからまぁこんなもんだろうと思っていた。

先月は、美容師さんに「肩コリすごくないですか?大丈夫?」と聞かれた。ああ、いつものか。何も感じないので「全然痛くないから気がつかないんですよね」と適当に答えていた。

心と体はリンクするという。

では、私は一体何を見落としているんだろうか。

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ヤタさんの朝活でもデモセッションを実施するというので手を挙げた。

私は、「パートナーが悲しんだり怒ったりすることが怖くて上手に要求が断れない」というテーマを挙げた。分析もある程度自分でしていたから大丈夫だろと思った。予想外だったのは、心理分析をする中で思春期の頃とか母親の話をして、「愛」とか「罪悪感」というキーワードとヤタさんの暖かい声かけで感情が動いて涙が出そうになったことだった。でも我慢した。人前では泣けなかった。

なぜだろう。

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人は感じたくない感情に蓋をする。師匠のデモセッションで「コントロールできる範囲で思考的になっている」、成功に向かうには「白旗を上げて負けを認めてコントロールできない未知の領域へ行く」という話が出ていた。キーとなる感情は「屈辱感」。

あぁ、絶対に嫌。直感的に嫌。ということはこれだよなぁ。

そんなことを考えていたら、ヤタさんがお昼に声を掛けてくださった。ヤタさんには心の中で白旗を挙げて「泣いてもいいよ」と自分に許可を出してみた。母親の話をしたら案の定涙が出た。今度は我慢しなかった。涙がなかなか止まらず困ったけど、ただ話ができて安心した。

私はなんて弱いんだろう。そう言えば、私は本当は泣き虫だったな。

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ヤタさん、お昼ご飯に買ってきたチキンをろくに食べずに話を聞いてくれた。本当にありがたく思う。

母親について考えたことがあったので、その事も交えて続きをまた記録に残しておこうと思います。今日はこの辺で。

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