随分前、自業自得案件で元夫からの拒否られレスで悩んでいた時に「私はもう女としての価値もないのか」と感じてだいぶ落ち込んだことがあります。
そして、カウンセリングに首を突っ込み、「拒否られレス」=「私は価値なし」というのが自分の思い込みであると知りました。物差しを置く場所を、他人の言動から、自分が己をどう見るかにシフトしていってからは、目の前の男が私をどうレビューしようと私の価値は不変であると頭で理解できました。
「私の女の価値は私自身が決める」と決意してから、メイクやファッションが格段に楽しくなったという変化もありました。
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現彼との関係性が落ち着いてきた昨今、セックスに誘われなくなった上、彼が疲れている様子だったので「したいと思った時、誘っても大丈夫なコンディションなの?」と恐る恐る聞いたら、「俺はいつでもウェルカムだよ。疲れを理由にして誘われないのは心外だった。なんで言わないの。君、多分断れないタイプでしょ。したい時はちゃんと言って」とのこと。
「誘われない」=「好きじゃない」ではないんだ。男心って難しいなぁ。誘ったらあっさりOKだったし、楽しそうだったから良しとしよう。
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我々の間に何が起きていたのか。表面ではなくもう少し掘り下げてみたいと思います。参考にしたのは師匠の以下の記事です。
まずこちらの引用。
セックスは男性器と女性器がぴったり合わさることによって心理的にも「つながり」を示すわけですが、見方を変えると、男性器はナイフに例えられることがあり、そうするとセックスという行為は「男性が女性にナイフを突き立てている(傷つけている)」という風に見ることができます。
彼視点で見た私は「断れない」人であり、断れないことを気にするということは、上記が該当しやすいのかな、と思いました。また、彼の場合は男性的なエネルギーが強いと思わされることも多々あり、傷つけまいと意識していなくても感覚的に守りに動くということもあり得そう。
一方で女性。
男性はセックスに対して罪悪感を抱くことになり、女性はセックスで傷つきやすくなり、被害者のマインドを獲得しやすくなります。(中略)被害者になりやすい女性はセックスを「求める」「受け身」で捉えやすくなります。積極的に与える姿勢にはなりにくいのです。
セックスは、頭では愛情表現と思っているけど、私の中にも「セックスで傷付く」みたいな感覚があるのかなぁ。
また、私の場合は「技術が乏しいためとても自信がない」、というのもあります。だから受け身になりやすいし、加えて、「充分にお返しができないから誘うのが申し訳ない」みたいになる。
ということは、やはり私が技術を磨いてガンガン誘ったらいいんだな。私が、「セックスは愛情を伝える行為である」ということを行動に移せればまた違ってくるかな。
ちなみに、レスの背景には愛が隠れていることがあり、
この(セックスでの)罪悪感というのは今までの記事に出て来るように様々な問題を作ることになり、例えば「愛する人を傷つけたくないから、セックスは別の女性とする」という行動を作ることもあるんです。
みたいなシナリオもあるそうです。これぞすれ違いの極み。奥が深いなー。つまり、誘われなくなったというのは彼の中で私の大切度合いが上がってきている証拠かも。笑 よしである。
男心は難しい!そのうち、ジュンコ先生の大人の性教育受けたいなぁ。セックスにまつわるコミュニケーション、引き続き頑張ろう。
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