こんにちは。すずきゆうこです。
彼氏と別れてからもこまめに連絡が来ているこの状況を、人生のエンタメと捉えるくらいには楽観的になりました。
さて。
私の大事な友人たちの話をします。
みんなね、鏡かな、というくらい性質が似ています。私含め、です。考え、配慮し(ただし自分の価値観)、疲れ、傷つき、うまく行かない、普通にしててもなんか?な感じ、など。これまで、私たちのことを己調べで「繊細」と思っていたんですけど、最近、どうやらそうでもない疑惑があるなと思いました。
例えば、恋愛の話題で、「こうすればいいじゃん!」とか「それはだめだよ!」と言われて流せずに傷つき嫌な気持ちになるケース。他の仕事の話でも家族の話でもなんでも。(そういう対応をする人が悪いと言っているわけではなく、あくまで受け取り方の問題という前提です。)
先日、その友人と話してて「分かる分かる」と思っていて感じたのは、私たちが、とっても我儘で究極に芯がある人種なのでは、ということでした。なんだ、何も心配することないじゃん、最高じゃん、と。そして、「倫理も決まり事も常識も所詮お前らの偏見だろ」と暴言を吐きたくなるくらいに怒っていたのは、自分の守りたいもの、大事にしたい価値観、自分にとっての最善のルートを知っているからこそなんだなーと思って、とても嬉しく思ったのでした。
友人に、「今決められないことを決めなくてもいい、ずっとそのままじゃないし、たぶん、私たちのことだから、時がきたらまた直感で動くんでしょうね。しかも割といい方向に。」と伝えたら、「そうねー。なんかね、前とは違って不思議と順調な気がするんだよね。もうさんざん大変な目にあってきたし、そろそろ幸せになってもいいかって思ってる。」とのことでした。
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私と元彼との関係について。
友達に戻るって言っても絶対友達の距離感じゃないし、自分がうまく形容できない関係の人との関係に名前を付けると面倒だな、型にはまったら「こうあらねばならない」といった調子でまたいつも通り悩むな、と思って、適当に自分を泳がしてみて分かったことがあります。
それは、好きな男性とはかなり距離が近いし、元彼に、「会うとしたくなっちゃう。リラックスしてるからかえってヤバい。」と言われて「それなら別にしてもいいかな。」と感じるくらいにセックスは好きだし、一人の時間が好きだし、でも気にしてもらわないと嫌だし、季節を一緒に感じたいし、新しいものを一緒に発見したいし、お互いの発見をシェアしたいし、美味しいご飯を一緒に食べたいし、落ちている時は寄り添って欲しいし、元気になったら野放しにして欲しいし、相手の世界観を知りたいと感じる、などです。
うん。元彼、根本師匠用語で言うと、大変いいボランティア、と言ったところでしょうか。
こんな感じでここ1週間生きていて、5秒くらい「流れに身を任せる」と「流される」との違いを考えたんですけど、まあ、気にしなくても多分大丈夫かな。(笑)
さらにそこから発展して「流れに身を任せる」ということと「流れに流される」ということは全然違うというお話を最後にしておきたいと思います。
よく「流れに身を任せましょう」という言葉を軽く言っちゃう根本先生ですけれど、「流れに身を任せる」とは、「プロセスを信頼する」という意味でして、そのためには、
・自分軸であること
・自分や相手、もしくは状況に対して信頼があること
・アカウンタビリティに基づいていること(どのような状況になってもその責任は自分にある、という概念)
この3つが必要になります。
無思考状態や感情に流されてしまうのは「流れに身を任せる」とは言えず、単に「流されているだけ」と表現します。
「受け取る」ことと「流れに身を任せる」ということ。
フレームを外した時に私自身がどういう動きをするのか分からなかったんですけど、「素直で大変よろしい」がたくさん出てきてなんかいい気分です。
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「私たち、自分を泳がせるのうまいね。いい歳の取り方をしてるよね。」と友人と話しました。元彼や、友人の追っかけてる男との関係もいいけど、折角だから自分のためになることもしようね、ということで、月に1個、新しいチャレンジをすることに決めました。
今月は、水1.5リットルを毎日飲むことにしています。すこぶる皮膚の治安が良くなりつつあります。素晴らしい。来月は、週に何度か1品だけおかずを作ることを挙げました。非常によい。友人は、これまでもらって使いきれなかったバスグッズで週末は至福の時を過ごすでした。よい。良すぎる。素晴らしい。
毎月できることが増えていくと、徐々に変化が訪れると思っています。半年後、6つも新しくなった私はパートナーシップで何をやらかすんだろう。楽しみだな。
それでは、今日はこの辺で。そして、お誕生日おめでとうございました私。感謝の気持ちを込めて。
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