「自分の機嫌は自分でとる」が必要なのは分かってるけど、なんだかみじめで嫌だった

出会い・婚活

パートナーがおらずフリーだった時の話。

かつて、どこからともなく「自分の機嫌は自分でとる」という精神が重要だという事を耳にしたんだけど、それでとっても嫌な気持ちになった私。

いい恋愛をするなら、そういう気持ちで暮らした方がいいのは分かっていたよ。

分かっていたけど、、、


「なんか嫌」が勝ったんだ。






まず!

自分の機嫌は自分でとらねばならない
=私には愛してくれる人がいない
=その選択肢しかない
=孤独で惨め
=すごく嫌だ

と感じたし、

自分の機嫌は自分でとれる
=出来た人間
⇔できない私は出来の悪い人間
=ダメ出しされているように思える
=あなたは幸せになれないって言われたように思える

とも感じた。


そして、

そんなことを考える自分のことも、嫌いになった。




悲しきネガティブスパイラル。


そんな私でしたが、今では、「自分の機嫌を自分でとること」を、「楽しい」と思えるようになったんですよね。


血迷ったわけでは無く、

色々なことを

しく考え過ぎていたことに気付いた。


ちょっと、これを見ておくれよ。




これは、「一年間お疲れ様」という気持ちも込めつつ、会社の仕事のミスで激烈に落ち込んだ自分の機嫌をとるために買ったものたちである。

説明すると、

  • 右上:伝線しにくいストッキング(今履いているのが超ヨレヨレ)
  • 左:靴下(元々持っていたやつの丈がおかしくて、ストッキングと重ね履きすると落ちてきて変になる
  • 右下:飛べない鳥キウイのハンカチ(かわいい)

という感じ。

今までお世話になったストッキングと靴下は、感謝の意と共にサヨナラ(破棄)し、新しいものによろしくしました。

元々がズボラなこともあってか、最低限度の生活を少しだけ整えてあげるという、その感じが心地いいんですよね。


そう。

私の場合、自分の機嫌を取るための第一歩として必要だったのは、

「まあいいや」で済ませている

ちょっとの不快に対して

自分自身が気遣いをしてあげること

でした。




振り返ってみると、「まあいいや」と考えて何事もなかったことにするクセは、もう小学生くらいの頃からあったと思う。

その私のクセは、記憶の限り生まれつきではなく、「自分の思いをあんまり聞いてもらえなかった」という受け止め方をせざるを得なかった家庭環境の中にルーツがあって。

それで、何事に対しても、自分の思いを飲み込んで「まあいいや」で済ませてしまうんですよね。

それが自分自身や物の扱いにも習慣として現れていたという。

でも、飲み込んだ気持ちは無くなったわけではなく、心のどこかに存在はしている。


「自分で自分の機嫌をとる」に抵抗が無ければそのままトライで問題ないと思うんだけど、「自分で自分の機嫌をとる」=「嫌」がある場合、その裏には「私を助けてくれる人はいないんだ」、「もう一人で頑張りたくない」などという思いがあって。

だからまずは、心の中にいるそやつに手を差し伸べて、ご機嫌をとってあげる必要があったんです。

(難儀である(笑))







もうね、ストッキングが新品&靴下が落ちてこないのは感動だし、キウイハンカチの可愛さで気分が上がるし、そうやって、バタバタしている毎日の中に、ちょとだけ立ち止まって感情を噛み締める時間を作れるようになったことが嬉しい。

それでルンルンでいると、メガネ氏(夫)もどことなく私と関わるのが楽しそうなのである。

だからね、自分なりに自分の気持ちを上げる方法を知っておくというのは、とっても便利だなと思うのです。

そのために、自分が本当に欲しているものを知るっていうステップを踏むのもありだと感じております。


そして、「そうやって自分を知りつつ、楽しいパートナーシップを築いていきたい!」という方は、ぜひ、ラインにも登録しておいてください。

そんなプログラムを鋭意作成していまして、ラインからご案内していく予定です(*^^*)

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