「変人」な彼ばかり好きになるあなたの隠れた才能は何?
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先週、
いわゆる「変人」ばかり好きになって何かと苦労しちゃうのに、なんで「変人」ばかり好きになるのー?
ということをまとめました。
結局、「変人」な彼らが悪いわけでないし、自分が悪いわけでもないんですよね。
現時点での彼と私だと、「彼」と「彼を助けたい私」の関係性がどうしても出来上がっちゃうような現象、みたいな。悩ましい。
それで、ご存知の方もおられるように、そういった傾向は「助けたい症候群」なんて言い方をされますが、個人的にもうちょっと掘り下げられればな~と思います。
せっかくこれまで助けることをしてきたんだから、今度は、自分が幸せになるためにそのエネルギーを使ってもいいよねーーー!と思うんです。
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前にも書いた通り、「彼」と「彼を助けたい私」の関係があるということは、かつての子ども時代、「親」と「親を助けたい私」がいたことが考えられます。
自分を犠牲にしてまで期待に応えようとしたり、迷惑をかけないようにしたり、間を取り持つなどして色々やってみたけど助けられなかったことから、
「しんどい、うまくできない、なんでできないんだろう、ごめんなさい」、などという罪悪感や無力感がこびりついちゃっているかもしれません。
たくさんの罪悪感が心の底に隠れていると、幸せを遠ざけます。
その状態を、私はいつも「染みついた汚れ」的な感覚でイメージします。
助けるべく努力した結果、「私」の中ではミッションが失敗に終わり、うまくいかなかった過程で罪悪感や無力感が染みついちゃって、
でも自分ではどうしても落とせなくて、気分は悪いしツラいけど、次第にその状態に慣れちゃった、というのが今の「私」。
そして、自分があまりにボロだと周りがきれいに見えるし、他の人を汚しちゃうかもしれないから近づいちゃいけないような感覚になっちゃう。
一方で、社会に出ている時は、後天的に学んだ人それぞれの方法で取り繕うことも。
近距離だと取り繕っているのがバレちゃうので、あんまり近くに来てほしくないという気持ちも持っているかもしれない。
それに、取り繕っているから、すごく気を遣ったり緊張したり天邪鬼になったり違和感があったり、色々大変。
そして、助ける過程でボロになった「私」は、きれいな人には近づけないけど、同じような感じの人には近づける。
その状態がしんどいことを知っているから、相手を受け入れることができてしまうし、自分はさておき相手をどうにかしてあげようともする。
でも、うまくいかなくてまた罪悪感と無力感が積もっちゃう。
そうやってどんどん抜けれない沼にハマっているような感じになっちゃう。
「助けたい症候群」の人はこんなことをずっと繰り返している状態だけど、めちゃくちゃ健気で優しいと思うんですよねほんと…。
結果的にうまくいかなかったと思っちゃうかもしれないけど、本当は「癒し」の才能があって、「私」が助けたかった人たちは、彼らなりに救われてきたはずなんです。
「癒す」というのは、ほわほわしているだけでなくて、
痛みを理解して一緒に流してあげることかもしれないし、楽しませてあげることかも知れないし、安心感を与えることかもしれないし、自由を感じさせてあげることかもしれないし、応援したり支えてあげることかも知れない。
他にも色んな方法があると思う。
だから、「罪悪感から自分を責める」ことから足を洗って、自分に対して、目を見て「あんためちゃくちゃきれいだよ」と言ってあげて欲しいんです。
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「助けたい症候群」が和らいできた時、次のターゲットはどんな人?となると思うんですが、根本師匠のこちらの記事が沁みました。
何も心身ともに全力投球で「助ける業」に徹しなくてもいいのです。
だって愛や助けを受け入れることだって大事だし、それがなければエネルギーは回らないですよね。
やがて枯れてしまいます。一緒に成功したい人。
共に成長したい人。
愛し、愛されたい人。そういう人を次の獲物にすると良いかと思います。
助けたい人ばかりと恋をしてきた自立系武闘派女子がそのパターンを手放すとどうなる?(助けたい症候群の卒業式)
今パートナーがいる人も、意識を「助けたい」から上記に持っていくと、何かしら感覚的な変化があるんじゃないかなぁと思います。(私も意識するようにしている)
もう幸せを受け取る段階に十分きているはずなので、あとは受け入れる準備ですね~!
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よし。
ということで今日はこの辺で終わる!
ではまた来週もよろしくどうぞ~!
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