ひねくれ者にとっての「自分らしく素直に生きる」って何だろう?
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巷で、幸せになるハウツー的なものとして、
「自分らしく生きる」とか「素直になる」というキーワードをよく見かけるんだ。
私も心理学をかじっている身だから、それがとても大事なことだと感じています。
けど、そういう言葉のうわずみだけ聞くと、
アレルギー反応が出るのでちょっと困っている。
(申し訳ない!)
私、年齢を重ねるにつれて性格が何回転かひねくれて、感情もどんどん絡まってこじれていって、
その過程で、
他人に迷惑をかけたり、人として醜い行動をとってきた、ということを認識した時があったんですね。
私の記憶だと、最初に「私ダメじゃん」を意識したのは小学校の低学年くらい。
思春期真っ只中の頃にも、不器用さが露呈して、
周りと足並みを揃えられずに何度も恥をかいたり、迷惑をかけたり、他人とぶつかったりしてました。
もうね、年々混乱が増すばかりだよ(真顔)
だから、心理学をかじる直前まで、
・他人に迷惑をかけない
・他人に不快感を与えない
・場を乱さない
・調子に乗らない
という、自分で編み出した4か条だけが私を守ってくれていたのです。
律することを強く意識し始めた時に、
ひねくれというか、根の歪みや感情の絡まりみたいなものが重症化していったんだと思うんだけど、
その中で、一般ウケしそうな素直さや可愛げが失われ、いつしか欲しいとも思わなくなったんだよな(笑)
そんなわけで、あくまで私の場合だけど、
「自分らしく生きよう」とか「素直になろう」と言われることは、
4つの守りを破る、ただただ怖いことだったんですよね。
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心理学の世界に首を突っ込んである程度癒しが進んでいった時期に、
「本当はもっと性格悪いんでしょ?」とか「ひねくれ者」
といったように、隠していた部分の表面をちょこちょこネタとして拾ってもらうようになりました。
当たり障りない人として静かに暮らすという選択しか持っていなかった私は、
改めて「性格が悪い」とか「ひねくれ者」と言われて、
なぜか嬉しいような恥ずかしいような、ワクワクした感覚を感じていたのです。
そして、その感覚を覚えると同時に、
なんで嬉しいと思うんだろう?
なんでワクワクしてるんだろう?
悪ぶりたいだけのイタいことやっちゃってる?
人と違うって思われたい承認欲求?
闇堕ちしているだけ?
明るい幸せな世界にそっぽを向きたいの?
あれ?私、何か問題あるんか…?
という思いも出てきたんですね。
(もちろん、300%の力で陰キャをやっていた時は悪ぶりたかったし、私を見下して心の安寧を保っている奴らの不幸をたくさん願っていたよ)
そう。
「性格悪い」とか「ひねくれ者」って一般的には悪口じゃないですか。
それを嬉しいと感じる私は、ひねくれている。
いや、いいんだけど別に。
でも、感性がひねくれている…。
すると、
「ああこれだから苦労するんだろうな」
「だからダメなんだろうな」
などと考えてはちょっと落ち込んだり、
心に清らかな水が流れている人を羨ましく思ったり、
素直で可愛い性格になりたいと思ってみても嫌気がさしたりして、
地味にもがいていたわけです。
しかし、
この機に及んで「嬉しい」とか「ワクワク」を否定する方が不自然なのではないか?
という基本的な前提に立ち返ったタイミングがあって。
嬉しいは嬉しいでいいし、ワクワクしたならそれでいい。
深く考えずに、自分がラクでいられる、好きな自分でいればいいじゃないと、思い直したのでした。
だって、長年かけてねじってきた根性を原型に戻すのはほんとに大変ですし、
無理をしたら自己否定にもなってしんどくなる。
だから、ひねくれを喜ぶ私も全部含めて「自分らしい素直な状態」でいいや、と思ったんです。
ここからまた何かしていくよりも、この自分に磨きをかけていく方がしっくりくるなぁと思ったのでした。
じゃあ「自分らしい素直な状態」を極めるとどういう方向に向かうのか?
それは、学生時代から今までに、
職場や友人関係の中で私を特に大事にしてくれた、憧れでもある人たちがすでに教えてくれていました。
その人たちを振り返ってみたら、
みんなどこかでコミュニティからはみ出したりズレたりしていたんだけど、
その人なりの真っ直ぐさと力強さで、自分も人も過ごしやすいこだわりの素敵な世界を作っていたことに気付いたんですよね。
その人たちは、自分の哲学とポリシーを貫くために時に、
謎習慣を守りたい人や社会的立場が上の人とぶつかることもあって、
だからか、自分のことを「腹黒い」とか「ひねくれてる」とか「性格が悪い」と表現することも多い。
もしかしたらその人たちも、
人とぶつかったりおかしいと言われたり、矯正させられそうになったりして、根っこがねじれたのかもしれない(笑)
一方で私はその人たちの生き方が好きだから、
「性格が悪い」とか「ひねくれ者」という言葉が、「誇らしいもの」としてインストールされていった可能性がある気もした。
生き方(ヴィジョン)を見せてくれた人達が教えてくれれた「ひねくれ者」の才能って何だろう?と考えてみると、
やっぱり、「創造性」、「開拓」といった要素がまず挙がる。
だからこそ、ひねくれ者は、不満を解消するためにやりたいこと、喜びやワクワクを感じる欲しいものには貪欲になってOK。
そしてその人たちは、「メンバーから愛されるリーダー」でもあったんです。
もちろん敵もいるんだけど(笑)、それ以上に多くの人に愛されていたなぁと。
この辺りがただの文句言いとは違う所で、背中を見せてくれるたくましさ、みたいなものがあるのですよね。
これは、カリスマ性やセクシャリティの開花といったような、ちょっと大きな話にもなっていくのかもしれないです。
セルフイメージに「ひねくれ者」や「性格が悪い」などがくっついている人は、
そういうリーダーシップを取っていくような宿命みたいなものを持っている人もいる、
という見方もあるのかもしれないなぁと思ったり。
でも気負う必要もないと思ってて、
多分、自己否定や罪悪感などネガティブな枷を外して「自分らしく素直に生きる」をやったら、
自然とそうなっていくのかもしれないし、それが楽しいと感じるのかもしれないですね。
憧れの人たちは、たくさんの人に囲まれて、いつも活き活きと笑っていました。
私も、自分の大事にしたいことをしっかり守り、地に足をつけ、
立ち上がりつつ、これから自分がどうなるかは流れにお任せして、
先を楽しみに過ごしていきたいと思う今日この頃であります。
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ちょっと今日は、考えてみたことをざっと書き出してみました。
なかなか答えが出せないし分からないこともたくさんあるけど、
心理学って最後は楽しい方向に収束していくから面白いし好きって感じるんですよねー!
お茶会ではもう少し専門的なお話や、個別のお話もしてみたいと思うので、興味がある方はぜひに。
(お題を、自分が自然に素直にノれる心理学談義に変更しました(*^^*)笑)
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