癒せない罪悪感や自己否定は、自分の役割やライフワークを知るための一つのサインに過ぎないのかも知れない【恋愛企画回答レポート番外編】

恋愛・パートナーシップ

こんにちは。すずきゆうこです。

前回のこちらの回答。書き上げてから読み返して、この内容って正直…耳タコ案件だよなぁと思って、何が足りないんだろう…とずっと考えていたんです。

そしたら、ケイティこと桐山慶子カウンセラーのご感想記事を読んでピンときたことがあったので、もう一歩踏み込んでまとめてみます。(このセッションのご感想を書いてくださった方、ケイティ、遠くから感謝しています。)

今回は、自分をサンプルとした研究とします。(笑)

ちょっとスピってる怪しい話とかも出てきますが、もしそれに抵抗がない方はよかったらお付き合いくださいませ。

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※はじめに、罪悪感はあってもいいという前提なので、付き合い方の一種と思っていただけますと幸いです。

強烈に残り続ける罪悪感とは何か

罪悪感を癒す方法については根本師匠も本を書いたりしているので、それでOKなケースがおそらく大半なのかなと思いつつ、その一方で、謎に残り続ける強い罪悪感のような、心残りのようなものがあったりして、この分岐点ってなんなんだろうって疑問でした。

クライアントさまとお話をしていると時々思うのが、「あの手この手で癒しを進めようとしても、抜けられない時ってどうしたらいいんだ?」という疑問です。

これは、自分自身の課題でもあります。

私の場合だと、17年冬の離婚問題~19年夏の離婚がそのきっかけになっているのですが、たくさんの癒しを経験する中で、癒せたものと、強い心残りの2つに分かれています。

ちょっと書き出してみますね。

癒せたこと、許せたこと、手放せたこと、出来るようになったこと

離婚は失敗という観念を手放せた。/離婚をする自分を許せた。/家族の愛を受け取れた。/友人や同僚の愛を受け取れた。/人を信じてみようと思えた。/人と自分の人生の線引きができるようになった。/自分の芯を貫けることが増えた。/一人で頑張らなくてもいいやと思えた。/人に頼ることに抵抗が減った。/自分が不完全であることを受け入れられた。/自分の頑張りを認められるようになった。/かなりポジティブになった。/変なプライドが小さくなった。/仕事の成果が格段に上がった。/同志に出会えた。/関係各所で同じ目標を持って頑張れる人と出会えた。…など。

罪悪感や心残り

■ずっと一人で戦ってきた義理のお母さんを助けられなかった。

■元夫の夢を叶える応援ができなかった。足を引っ張った。

■元夫の価値を見てあげられなかった。

結構色々やってきたつもりだったけど、ここだけが抜けられない。

「離婚は今時珍しくない」、「あなたは悪くない」、「愛が根底にある」と言われて許せるほど生易しいもんじゃないんですよねー…。

ポイントは、関わった人や離婚した事実よりも、「ただその時に自分ができなかったこと」に罪悪感があることだと思いました。

「なぜ私はこんな境遇に置かれたんだ」という怒り

罪悪感を感じると、自分を責めるのと同時に、ごく自然に他責になる構図も出来上がります。「加害者=被害者」の法則です。

問題勃発当初の私の場合は、以下の通りです。

罪悪感

もっと早く気づいていればよかった。/辛い思いをさせてしまった。/私がしっかりしていなかったからこんなことが起きてしまった。/不幸の諸悪の根源。

怒り・他責

私だけが悪いわけじゃないよな。/元夫だってお母さん問題あるんだから向き合えばいい。/どう考えてもお母さんを投影されてて超迷惑なんだが。/私だけが頑張ってるのか。/なんで私はこんな目にあってるんだろう。/元夫の実家も義母ばっかり苦労させやがって。

ここから、登場人物に対する感情的理解や、自分自身の癒しが入っていきます。誰も悪くないということが腹落ちしてきていい感じになっていくところです。

いわゆる、ここが分岐点で、徐々に怒りの方向が変わっていきます。

新たな怒り

なぜ時間は戻らないんだ。/あの人もこの人もチャンスをもらえた。なぜ私にはチャンスが1度しかないんだ。/なんなんだこの巡り合わせは。/なぜ私はこんな境遇に置かれたんだ。

怒りの方向が理不尽すぎる。(笑)

誰も責められなくなった人は、神様と喧嘩をする

お弟子講座の最終回のデモセッションで、「神様と喧嘩をし、自分を悪魔や魔女として扱う」という話が出てきました。この時は、全く意味が分からず「関係ねーや」とヘラヘラして油断していたら、師匠に指されて当事者だったという事故を起こしています(正座)

この意味が、講座終了後もしばらくは全く分からないまま適当に流していたんですが、どうも無視できないなと。

虚空(神様)に向けられた怒りは、投影を使えば、自分自身にも向いている強い自己否定とも言えます。それは、自分の存在意義やこれまで歩んできた人生に対する後悔に匹敵するのかなと感じました。

まあまあ幸せだったかなとか、そんなにハードな人生を歩んでこなかったとか、「たかが離婚なんて珍しくないことでなんでこんなに悩むんだろう」という思いで唸っていたんですが、そんなことはどうでもいいんだろうなとも感じました。

問題となった出来事の大小は関係ないんだな、と。ただ、「それ」に気付くきっかけだというだけなのだから。

許しと癒しをしていってもなお残る罪悪感と怒りは、「自分」と「よく分からんなんでもできる存在(神様)」で「加害者と被害者」の構図を作っているのだと思います。

師匠は、講座の中でこう言っていました。

「もう、神様を許してあげて欲しい。」

※補足的にスピリチュアルな観点からお話をすると、「そもそも神様は人間と対等な存在であり、自分は悪魔や魔女ではなく、本来は自身も神や女神である」ということになります。(なかなか受け入れ難いですが。)

生まれる前に神様と交わした約束

ここからは、スピリチュアルモードまっしぐらで進めます。

個人的に、初めてこの話を聞いた時はにわかには信じらなかったし全然うまく咀嚼できなかったんですが、潜在意識だのなんだのっていうのは抽象的な話だし、理解するのにはこうでもしないと辻褄が合わないなぁと感じています。

ちょっと端折って書きますね。

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私たちは、生まれる前に空から色んな世界や家族を眺めて、自分が生まれる場所を自分で決めて、神様と約束をしてこの世に生まれます。

自分はどこに生まれて何をしようかな、と悩みながら考えつつ周りの子たちと話していると、「それ、苦労するんじゃない?」とか、「大丈夫?」とか、「僕なら嫌だぁ…」と言われたりします。

それでも、なぜか気になっちゃったり、やる気になっちゃったりして、「喜ばせたい」、「助けたい」、「導きたい」、「癒したい」、「私しかできないならやるしかない」、などを心に決めて、この世に生まれることを神様に報告に行きます。

神様は、「あんなことやこんなことが起こるけど、本当にそれでもいいの?」と念押ししてきます。

私たちは、「うん。」とだけ返事をしました。そして、この世に生まれてきました。

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現世で神様と喧嘩をする前に、神様とは一応コンセンサスを取った形で生まれたようです。

そうなってくると、「なんでそんなに心残りなの?」、「なんでそんなに過剰に罪悪感を抱くの?」と聞かれたら、答えは、「自分がやりたかったから」、「できると知っていたから」としか言えなくなっちゃうんですよねー…。

自分が生まれる前に神様と約束して決めてきたこと

■ずっと一人で戦ってきた義理のお母さんを助けられなかった。「一人で悲しんでいる人を助ける」

■元夫の夢を叶える応援ができなかった。足を引っ張った。「人の夢を応援する」

■元夫の価値を見てあげられなかった。「人のいい所や才能を引き出す」

虚空(神さん)に邪念を飛ばしても、神さんサイドから「一応聞いたよね!?え?聞いたよね?あ、生まれる前の質問チェックリストにチェック残ってたわ!自信なくなるわ!怖いわ!ってか、できないって思ったら全力で止めに入るわ!」っていう言い訳が聞こえてきた。

しかし自分、とんでもない約束しちゃったんだな。現世でも結構「オッケーです!大丈夫っす!」って安請け合いしてるところあるからなぁ。生まれる前からこんな何も考えないキャラだったのか。

仕方ない、神さんを許してやるか考えてやろう。

役割やライフワークを受け入れる

私は、割と諦めは早い方だと思ってて、幼少期~学生時代に「将来の夢は?」という質問をされた時の答えは様々な変遷を経てきました。

アートの世界は好きだったけどあっさり諦めて楽しむ側に回ったし、科学や宇宙や動物植物や手芸や料理など、好きだけど仕事にしようと思わなかったことだってたくさんある。

自分のしたいことが決められず、お金も限られていたし母の勧めもあったから、なんとなーく、本当になんとなーく人の役に立つかなと思って高校からの進学先は看護を選びました。

離婚も含めて、そのルートを選んでからの人生の学びや経験や出会いが、今の自分の大事なマインド形成の基盤になっています。不思議なもんだ。

「役割を果たすために、ライフワークを生きるために必要だったからじゃない?」と言われたら、嫌だなぁとしか言えないのですが、もし本当に「それ」に気付くためだとしたら、嫌でもそうなるしかなかったのかなと渋々納得してしまう自分もいるのです。

本当に嫌だなぁ。

神さん、あいつ、やりやがったな…。やっぱり許せねえ…。(理不尽)

単純に「楽しい」だけ

看護師は色々な理由があって辞めて、今は産業保健師としてすごく恵まれた会社にスルっと入れてしまったのですが、それも決まり方が華麗すぎて怖かったな。

そこで教えてもらっているのは、リアルに「本当にこの会社の仕事はあなたにあっていますか」という問いを、愛情ベースで社員に続けていっている人事の姿勢であり、こういう世界観て本当に実践していいんだということです。

とてもありがたいし楽しい。

それでも今、カウンセラーをサブでやってるのはなんでだろう。

なんでですかね(笑)

それこそ、クライアントさんが嫌とかではなく、純粋になんでやってるか分からなくなる時があって、冒頭に出てきた桐山さんと話している時に、「私、なんでこんなこと始めちゃったんだろう…」という話を聞いてもらったんです。(笑)

勿論、意識的には大義名分はあります。が、それだけじゃ続けていけないのも事実です。

それでね、「なんでやるの?」の解として採用していいか迷っていたのが、「単純にその時間が楽しいから」です。

なんだかよく分かんないんですけど、その時間を超恐れつつも楽しみにしている自分がどっかにいるんです。きっと、そのそこはかとない喜びを感じているのは、神様に「私やります!」と約束した私なんだろうな。

それが現世に持ってきた才能=女神性(偉大さ)だとしたら

え~、才能とか言われるの嫌だなぁ…。

(ここにきてまだごねる。(笑))

でも多分、カウンセラーを辞めたとしても、神様との約束に準ずる仕事を選んでしまうのは目に見えている。諦め時か。どうしたってこれしかできない。

この前、私の大好きな尊敬するめっちゃ凄腕な産業医の先生がこんなこと言ってた。

僕だってね、やらなくていいならこんなことやりたくないんだよ。でもね、これしかできないからやってんだよ。(笑)

聞いた時、「いつも楽しそうに色々教えてくれたり語ってくれるくせに、なんなんだそれ?ギャグか?w」って思ったけど、まあ、そういうことなんだろうな、と。

これからは、客観的にギャグにしか見えない認識と成果のギャップは才能とみなすことを宣言いたします。

気付いて、そして今の自分を超えていく

やっと本題です。(エッ!)

「自分の偉大さを受け取ることでしか、慢性的な問題は癒せない。」と師匠も言いますが、まあ、簡単に言えば、「さっさと腹を括れよ」って話なんでしょう。

偉大な自分とは、本来の自分の姿です。

抜けられない問題は特に、隠れた才能を見た方がいいんじゃなかろうか、という理論になんとなく納得できました。

罪悪感があったままでも、なんだかよく分からないままでも、ワクワクや楽しいに身を委ねて、今の自分を超えた先に道が開けるのだろうな、と。(怖い話ですね。震える。)

パートナーだって、今の自分からは想像つかない人が現れるかも知れんという気さえする…。

よって、「癒せない罪悪感や自己否定は、自分の役割やライフワークを知るための一つのサインに過ぎないのかも知れない」、という結論になりました。

もう、罪悪感や自己否定が強くてなんだかよく分かんなくても、「生まれる前に、神さんとこれをやるんだ!って約束しちゃったのかも…」と思うといいかもしれません。

参考記事

  1. 【ご感想】お母さんを悲しませても嫉妬させても「幸せだよ」って言える自分を掴みに行きたいです。桐山慶子
  2. 自分の偉大さを受け取ることでしか、慢性的な問題は癒せない。根本裕幸オフィシャルブログ
  3. 死をどんな風にとらえればいいのか?(同上)
  4. (12/30)才能(ギフト)について(同上)
  5. 「意識」について~その働きとスピリチュアルについて~(カウンセリングサービス/すぐに役立つ!心理学講座

お礼

まずね、こんなに長い文章をここまで読んでくださった方、すごいです。(笑)ありがとうございます。また、考えるきっかけをくださった方々にも感謝です。

受け入れるの、抵抗ありますね。なんとなく思い当たった方、一緒に頑張ろうね(笑)

(よく考えたら、こっちも耳タコ案件だった。私の抵抗が聞かない姿勢を作っていたのか…!?)

それではこの辺で。ありがとうございました!

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